水子供養の龍海寺 蓮浄院。東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城・群馬・栃木・・・全国からの水子供養承ります。
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龍海寺概要
創立者
:
東久邇宮稔彦(元皇族〜第四十三代首相)
開祖
:
小 原 龍 海
旧本院
:
東京都新宿区上落合1-19-18
旧納骨堂
:
「赤とんぼ」の作曲者、山田耕作先生より寄贈。
本院
:
東京都東久留米市浅間3-5-4
埼玉別院
:
埼玉県さいたま市岩槻区上野6-6-5
住職
:
齋 藤 浄 寛
*NPO全国葬送支援協議会 理事長
*埼玉福祉協同組合 理事・事務局長
*全国仏教福祉会 会長
龍海寺 創立者 東久邇稔彦
〜 皇族から首相へ 〜
政治家を目指す者は、必ず一度は夢見るという総理大臣の椅子。日本を代表する顔であり、文字通り最高責任者として自衛隊、警察など行政を代表する総理大臣…。
戦後、数々の総理が入れ替わり立ち替わり座った、この「総理の椅子」。
そこには様々な顔があったが…、
その歴代の総理大臣の中に、政治家でも官僚出身でもない、いわば異端の人物がいたのをご存じでしょうか。
東久邇稔彦。
実は彼は皇族出身。後にも先にも皇族出身の総理大臣は彼一人です。
戦後最初の総理大臣を務めたこの人物…、つまり、焼け跡の日本で戦後処理にあたった人物。
在任期間は、わずか54日間、しかし、その2ヶ月は日本という国が「滅亡の危機」に瀕した激動の2ヶ月に他ならなかったのです。
しかしながら、一体なぜそんな時期に彼は総理大臣となったのでしょう。
そしてその激動の2ヶ月に一体彼はどのようにして日本を滅亡の危機から救ったのか?
その謎を解く鍵は、彼のあまりに壮絶な人生に隠されていたのです。
親の顔さえ知らず皇族となった数奇な生い立ち。
自由を求めて、皇族離脱をはかり、時の政府と衝突。
更には総理大臣の椅子を早々に離れた彼は、世間をあっと言わせる転身を図ります。
闇市のテキヤ稼業に転身。さらには「宗教団体の創設者」にもなりました。
1990年、102年という長い生涯で、明治、大正、昭和、平成・・・の4つの時代の行く末を見つめました。終戦後の激動の2ヶ月を総理大臣として生き抜き、時代を彩る日本のリーダーを見つめた彼の生涯から見えてくる、「日本のリーダー像」とは、果たしてどのようなものなのでしょう?
日本の一番長い夏…
1945年8月、すでに同盟国ドイツ、イタリアが降伏し、残るは日本のみ…。
そして2発の原子爆弾が降伏、ボツダム宣言の受諾を日本に決意させました。
そして8月15日、敗戦。しかし、この時、敗戦処理を誰が先頭に立ってやるのか、何も決まっていなかったのです。今なお本土決戦を叫ぶ軍部の一部を誰が制圧して、どのように連合軍の進駐軍を迎えるのか?そして天皇は…??
この亡国の瀬戸際に、自ら総理の椅子を望む者などいるはずはありません。困り果てた昭和天皇の指名を受けたのが、「皇族の異端児」東久邇稔彦だったです。
東久邇稔彦は明治20年、久邇宮朝彦王の9番目の子として京都に生まれました。
しかし、生まれた直後、稔彦が里子に出されたのは、農家でした。
謀議の疑いをかけられた父は、地方に蟄居。困窮の中、執られた措置です。
それゆえ稔彦は父母の顔を知りません。20歳の時、正式に皇族の身分となった稔彦は、しかし皇族という身分の不自由さに気づき始めます。そして大正天皇に向かい、こんな爆弾発言をするのです。
「私は日本にいるのがいやになりましたから、早速外国に行かせていただきます」そして訪れた自由の都パリ。この留学体験が稔彦を変えていきます。「私ははじめて人間として自由な立場に置かれた。自分自身の目でものを見るようになった」すでに日本に妻子があるにもかかわらず、2年という留学期間を無視し、さらにはフランス人女性と同棲、ついには皇族の身分を捨ててブラジルに移住したいといいだす始末…。しかし、大正天皇の崩御により、その夢ははかなく破れました。
日本に引き戻された稔彦の目に映ったのは…。「日本の行き方というものは、世界の動きから実に飛び離れていた」まさに井の中の蛙のごとくプライドは肥大し、独走する軍部。
「日米戦争したら、日本は負ける…」そんな稔彦の危惧は、不幸にも的中していくことになるのです。
そして戦後初の総理大臣に指名され、図らずも戦後処理にあたることになった稔彦。
「軍官民が徹底的にざんげするのが、再建の第一歩である」就任から54日、稔彦は寝るまもなく働き続けました。
進駐軍を迎えるまでに、今なお敗戦を認めようとしない軍部の一部を説得しなくてはならなかったのです。
そして無血のまま進駐軍を迎えることに成功した彼は、早々に内閣を総辞職。
総理の椅子から去るのです。その後、世間の片隅に隠棲、世の動きを静かに見つめ続けた東久邇稔彦。次々にすげ変わる総理の首を見つめながら、彼はつぶやく…。
「最近の日本の政治家は、みんな型が小さくなって、こざかしいけれど、目の前のめまぐるしい現象にのみ目を奪われて、遠い目標を失ってはならない…」
そして1989年昭和天皇崩御…。
時代の終焉を見届けるかのように、彼は102歳の長い生涯に幕を下ろしたのです。
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龍海寺 蓮浄院へのアクセス
■龍海寺■
*お車でお越しの方へお薦めです。
■蓮浄院■
*駅より徒歩3分。電車でお越しの方へお薦め
住所
:
埼玉県さいたま市岩槻区
上野6-6-5
電話
:
048-793-3115
アクセス
:
*東武野田線「岩槻駅」からタクシーで10分。
*「東岩槻駅」からタクシーで5分。
*
岩槻区上野の藤倉ゴムの前。あいおい損保研究所の隣」といえばつきます。
住所
:
埼玉県川口市芝新町9-3
電話
:
048-793-3115
アクセス
:
*JR京浜東北線 蕨駅 東口 徒歩3分
*
専用駐車場はございませんが、駅周辺に有料駐車場がたくさんございます。
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